
駅のロータリーには観光案内の看板がありますね。

あれ?手もとにある地図とはなんかちょっと違うぞ!?
これをみると青堀駅から二股に線路が分かれて、一方が岬に行ってるみたいだけどね?

じつはこれは戦前の地図でした。
内房線(かつての房総西線)は、対岸の横須賀線と同じく、東京湾要塞への物資の輸送に重要な役割を担っていたのです。

つまりかつての富津岬は軍事要塞になっていて、ここでは様々な実験が行われていたそうです。
そのひとつに列車砲というのがありました。
九〇式二十四糎列車加農というのがあって、岬を線路に沿って東西に移動しながら東京湾の防衛を図ったとされるものです。

きょうはそんな軍用線の名残を探しに来ました。

>このあたりのセンロはタンセンなんですね~、

>くんくくっ、あのサキのカーブしてるとこらへんがあやしいです!

カーブの外側はどんぐりの小径となっています!行ってみましょう!

>くんくん?ここテツのにおいがしますよ!

んん、これは築堤の跡だね、枝分かれした線路跡で間違いなさそうだ!

>ここをレッシャホウがはしってたんでしょうかねー?

線路跡の終わりからふりかえったとこです。線路のど真ん中にいる感じ(笑)
でもこの先は市街地に吸収されてしまっていました。撤収です。

さてこのあとは岬の中央の県立富津公園にきましたよ。
このへんも線路があったはずなんだけど、もう全然わかんないね。

かろうじて、海水を引き込むクリークにかかる2つの橋が、上の古地図で部分的に複線のようになってるとこと一致するようです。

というわけで、列車砲の線路跡はこれでおわりにして、岬の要塞の中心施設であった堡塁砲台を見に行きましょう。

海水を引き込んだお濠の中に、五角形の島のような堡塁があり、保存されています。

堡塁とは敵の攻撃を防ぐために作った陣地のことを指す言葉ですが、特に大日本帝国陸軍では、
対艦射撃用の海岸砲台を「砲台」、海岸砲台の背面を守る陸戦砲台を「保塁」として区別したとされています。

つまりここは海も陸も守る要塞ってことですね。

この下にある窪地が、砲座跡のようです。

ここには28糎榴弾砲6門、12糎加農砲4門があったそうです。

どれがなんの砲座かはわかりませんが、左右6か所にこういうのがありました。

>それにしてもあついです

>こうやってコウエンになってると、やまおくのニシウラほうだいのときみたくテンションあがんないのはなんででしょうねぇ~

とりあえずひとつだけ砲座に入ってみましょう。

えーと第なん砲座だっけ、わすれちゃった(笑)

砲座からの眺め。やっぱテンション上がんないな、先に進もうか。

>えっへんショウタイチョウです、、、あああつい。

>なんかこのへんはかわってますねー

>おりてってみましょう

通気口があります

地下になんかありそうです。砲側庫とか通路があったんでしょうが、埋められているようです。

こんなのが出てきました!

どうやらこの部分は砲台左翼観測所だったらしいです。

>はいってみましょう!

なんだ、すぐに行き止まり。

>おおおっ!これはっ!

>はあ、ざんねん!デンセイカンみたいだけどふさがっちゃっています。

出ましょうか。

富津元洲堡塁砲台、雑駁ですが、こんなかんじでサラッと見ておわりにします。

>だってあついんだもん!

じゃあお水を飲んで、お濠の周りの涼しいとこを散歩しましょうか。

>あれ?くんくん?なんかにおいますよ!?

>くんくくくっ!モリのなかにぜったいなんかいますよ!?

>わおっ!ロボットわんこみたいなのがおすわりしていますよ!

なんだこれは!?

(つづく)


