
きょうはここからSUPで千代ヶ崎のむこうにある海上戦跡を見に行きます!

さっそく海の上に浮かぶ3つの遺構が見えてきました。一番奥のものがかたちがよく残ってるのでそこに進みます!

奥の陸地にあるのは久里浜刑務所です。別に悪いことしてなくてもなんか緊張するね。

>はあはあ!このレンガとイシのツクリ!わたしにはこれがセンセキだとわかりますよ!いったいなんですか?

浦賀港にある記念碑に刻まれている文を読むよ。
「昭和20年(1945年)8月15日、太平洋戦争は終結。ポツダム宣言により海外の軍人、軍属及び一般邦人は日本に返還された。ここ浦賀港も引揚指定港として、中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから56万余人を受け入れた。引揚者は敗戦の失意のもと疲労困憊の極限にあり、栄養失調や疫病で倒れる者が続出した。ことに翌21年、華南方面からの引揚船内でコレラが発生。以後、続々と感染者を乗せた船が入港。このため、旧海軍対潜学校(久里浜長瀬)に設けられた浦賀検疫所に直接上陸、有史以来かってない大防疫が実施された。この間、祖国を目前にして多くの人々が船内や病院で亡くなる悲劇があった。」

つまり現在の刑務所はかつては海軍対潜学校で、機雷や水雷に関しての技術者を養成する学校であったが、
終戦間際には閉校となり、多くの者は繰上げ卒業とされ、特攻戦闘員として派遣されたそうだ。
終戦後に学校は検疫所となり、現在は洋上に造られたこの施設のみが、放置されて残っているわけなんだ。

むこうがわに回りこむと

このいちばん状態のいい一棟のみ、石が積まれて上陸しやすいようになっている!

のこりの2棟はちょっと厳しそうだ。

SUPの上から海底をみるとわかるんだけど、3つの建物をつなぐように海面下に桟橋の基礎のような構造物があり、
さらにこの建物の周りには破壊してできたと思われる瓦礫が多数水面上にのぞいています!

まあそのおかげで、そこを足掛かりにして上れそうだね!

>では、ジョウリクしましょう!

>ジョウリクしました!

積んである石の上に上りますが、

両端の入り口には脚立でもないと微妙に登ることができない!

というより、よじ登るのはなんとかできそうなんだけど、

下りるときに間違いなく足を痛めそうな状況。そういう足場。

>くう~ん、、そしてわたしはぜったいむりです、、くやしいからこのレンガ、かじってヌきとっちゃいましょうか?

なるほどレンガの壁を繋いでいるモルタルが風化してぼろぼろになっちゃってる!崩れたら危ないから取っちゃだめだよ!

そこで手を伸ばしていろんな向きでメクラ撮りしてみることにしました!

向こう側の壁は、すごいバランスで辛うじて立ってるように見えます!

そして内部は、中央を壁で仕切られた2間の構造。


そしてなんと手前中央よりに1.5m四方の大きな穴が開いています!これ落ちたらやばいね!

反対の入り口からも覗いてみよう!

窓が崩れてしまってるが、対称な同じ構造の部屋で、

見づらいが、やはり同様の四角い穴が確認できる!

2つの入り口の間のそれぞれの窓には、よく見ると引き戸をはめていた木枠の跡が残っています!


建物内部への進入は叶いませんでしたが、ひととおり稀有な遺構を堪能することができました!

>わたしもまぁそこそこタノしめましたよ

戦跡を巡るとき、どうしても当時の悲劇に想いを馳せることは避けられない。

国を支える有能な技術者になるはずの者が、志半ばで特攻任務に就かねばならなかったこと

戦地から生き延びて帰ってこれたのに、目の前の祖国の土を踏むことなく、この壁のなかで英霊となった者がいたこと。

今にも崩れそうな遺構たちは、平和な現代を生きる私たちに、必死に何かを伝えようとしているようでした。

今日の出会いの感謝をこめて、

遺構たちにお辞儀をして、

浜に向かってパドルを握りました。

(残念ながらその後、高波の影響などで、さらに崩壊が進んだようです)
横須賀市の浦賀検疫所跡の探検でした。

この遺構に近寄る術の無い自分にとって、とてもうらやましいです。
滝をも登るグレちゃんなら、ひょいと登ってしまうかと思いましたが、滑ったりするのでしょうかね?
良いものを見させて頂きました。
積んである石が、台形で、両側の入り口には微妙に届かなくて、
背伸びしてやっとカメラをねじ込んで撮影する感じでした!
石も隙間が結構あって、縄梯子か脚立でもないと降りるときがかなりやばそうで、諦めました。
最近友人がSUPで見に行った写真を見たら、
窓構造が失われていました。
たぶん江ノ島や各地に被害をもたらしたあの高波の時にやられてしまったんでしょうね、残念です。